酔筆 奇術偏狂記

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日本における奇術(手品)とその歴史

奇術とは?

奇術 (きじゅつ)とは、人間の錯覚や思い込みを利用し、実際には合理的な原理を用いてあたかも「実現不可能なこと」が起きているかのように見せかける芸能のことです。通常、観客に見せることを前提として発展を遂げてきたものを言い、古くは「手妻(てづま)」「品玉(しなだま)」などとも呼ばれましたが、現在では「マジック」「手品(てじな)」と言ったほうが馴染みがいいかもしれません。奇術を行う者のことは、「マジシャン」「奇術師(きじゅつし)」「手品師(てじなし)」などと呼びます。

手品

手品

タネ明かしは重大なタブー!

奇術の世界において、タネ明かしは現在でも重大なタブーとされています。ただし実用新案の期限切れや守秘義務の無いもの、市販の手品グッズを使ったもの、一般の書店で購入できるタネ本に紹介されているもの、誰でも簡単に見破れるものなどについては、タネ明かしをすることがあります。また、日本で最初に奇術のタネ明かしが書かれた「妖術の開示」という解説書は、奇術がごく普通の人間でも実践できることを示し、魔女狩りから奇術師を救う目的がありました。
現在では、ナポレオンズやマギー一門など、ギャグとしてわざとタネが分かるように奇術を行うマジシャンもいます。

奇術の歴史

日本における奇術の歴史は、奈良時代に唐より仏教とともに伝来した「散楽」が始まりとされ、狂言や能などと同じ源流を持っています。
大道芸として発展し、「放下」「呪術」「幻術」と呼ばれましたが、戦国時代には芸として完成していたと言われます。ただし室町時代以降はキリシタン・バテレンの妖術と非難され、禁止されたこともありました。実はあの陰陽師(安倍晴明など)の術も奇術の原理を使用していたと伝えられています。
この時代に人気を博していた歌舞伎や人形浄瑠璃、からくり人形の舞台でも奇術の原理を使用するものが多く、奇術は知的な座敷芸として認知されていました。幕末から明治維新に掛けて来日した外国人が日本の奇術に驚嘆したという記録も残っています。

手品

手品

「魔術の女王」の誕生

明治時代になると、今作品登場人物のモデルである松旭斎天一一門がヨーロッパを巡業し、一門を始めとした数多くの奇術師が「西洋奇術」を披露し人気を博しました。海外の知識が日本に流入するにつれ「手妻」「品玉」と呼ばれた旧来の奇術は勢いをなくし、西洋のステージ・マジックが日本奇術界を席巻するようになります。
松旭斎天一の弟子で「魔術の女王」と呼ばれた松旭斎天勝などの松旭斎一門や、その他様々な流派が興行を成功させ、この頃から様々な奇術同好会が設立されていきました。

現在の日本奇術界

現在では日本の奇術愛好家人口も増加し、全国各地に同好会が存在します。世界の舞台で活躍するマジシャンも多く、「マジック界のオリンピック」とよばれるFISM世界大会にも入賞するケースが増えてきました。世界で活躍したマジシャンとしては、石田天海や島田晴夫、峯村健二らです。1970年代に初代・引田天功などがステージマジックで成功し、1990年代には超魔術ブーム、2000年代にはクロースアップ・マジックがブームを巻き起こしました。
「ハンドパワーです」「サプラ~イズ」「時空をとらえました」など数々の流行語を生みながら、奇術は現在も人々の心を惹きつけています。あり得ないことがあり得るそのどうしようもない不思議さに、今も昔も、人間は決して抗うことなど出来ないのです。

奇術用語

ステージ・マジック (Stage Magic)

ある程度の大人数の観客に対してマジシャンがステージ上で演技して見せるもの。

クロースアップ・マジック (Close-up Magic)

少人数の観客に対してマジシャンが至近距離で演じるもの。テーブルマジック(Table Magic)とほぼ同義。

サロンマジック (Salon Magic)

ある程度の人数の観客に対してマジシャンが中距離で演じるもの。パーラーマジックとほぼ同義。クロースアップマジックとの違いは、一度に見せる人数。一方、ステージマジックと異なるのは、観客に手伝いを仰ぐなどの、観客と演者のコミュニケーションが存在する点。

イリュージョン (Illusion)

ステージマジックの中でも仕掛けを利用した大掛かりなものをイリュージョンという。ただし、ロープからの脱出やアームギロチンなど、大道具とはいえないものであってもイリュージョンマジックと呼ばれている場合もある。またラスベガスをはじめとする諸海外では、大道具を使わないステージマジックであっても、幻想を見せるエンターテインメント全体をイリュージョンショーと呼ぶことが多い。

劇団レトルト内閣とは?

華やかなのにダーク、B級なのに耽美という独自路線を開拓し続ける劇団レトルト内閣。その舞台はエンターテインメントでありながら、音楽から想起されるパフォーマンスアートとしても高評価を得ており、エレガンスロック演劇という独自のジャンルを切り開く。
2001年、関西学院大学の演劇サークルを母体として、座長・川内信弥(かわちしんや)を中心に旗上げ。演出・脚本・音楽は三名刺繍(みなししゅう)が担当。HEP HALL、ABCホールなど、大阪の劇場中心に2014年現在で21回の演劇公演を重ねてきいる。

近年の作品

第21回公演「ゴシップ」 (2013年11月 HEPホール)

ゴシップ

「ゴシップ」は、噂に支配される架空の村を舞台とした心理サスペンス演劇。本作では、映像プロジェクションマッピングを駆使したステージ演出も必見。映像と生身の俳優とのコラボレーションによる新たな演劇を提示した。劇団初のアフターイベントも開催。

「ゴシップ」特設サイト

第20回公演「エレガンスROCK 倦怠アヴァンチュール」 (2013年2月 HEPホール)

エレガンスROCK 倦怠アヴァンチュール

劇団代表作の再演作品。明るく切ないニューハーフの生き様を描いた大阪発エレガンスロック演劇。ゲスト陣には、劇団子供鉅人から益山寛司、コントユニットかのうとおっさんの有北雅彦、嘉納みなこを迎た。

「倦怠アヴァンチュール」特設サイト

第19回公演「金色夜叉オルタナティブ」 (2012年6月 HEPホール)

金色夜叉オルタナティブ

近代文学の金字塔、尾崎紅葉の「金色夜叉」を大胆リメイク! ゲスト陣も豪華な顔ぶれ。関西演劇界を牽引するリリパットアーミーⅡから、谷川未佳、うえだひろしが初参加のほか、三名刺繍率いるバンド「白色テロル」のボーカルとしてエレガンスロックを体現する高依ナヲミが女優として参加。

「金色夜叉オルタナティブ」特設サイト

第18回公演「猿とドレス」 (2011年9月 ABCホール)

猿とドレス

10周年記念公演第2弾「猿とドレス」は、ファッション業界が舞台の心理サスペンス。オリジナルのデザインを求めるあまり、追い詰められてゆくデザイナーの心理的暴走と混沌を描いた。主人公の姿に、レトルト内閣にしかできない表現を追い求めた10年間の歩みを重ねた。

「猿とドレス」特設サイト

脚本演出音楽

三名刺繍

三名刺繍

レトルト内閣全作品の脚本・演出・音楽を手掛ける。演劇と音楽に留まらず、映像や身体表現から影響を受け、パフォーマンス性の高いステージングを展開。耽美と笑い、詩と音楽を自在に行き来するエンターテインメント空間を築く。
作曲家としての顔も持ち、劇団レトルト内閣の劇中歌を中心に演奏するエレガンスロックバンド「白色テロル」を主宰(7年間の活動期間を経て2013年に解散)。

酔筆奇術偏狂記について

本

『酔筆奇術偏狂記』というのは私の祖父・金沢天耕が書いた本の名前だ。
今作はフィクションも交えたかったのでまったく違うタイトルにしようかと思ったけれど、皆がいいタイトルだと言ってくれたのでそのまま使わせてもらうことにした。
生来から道楽気楽だった祖父(もっとも、それは葬式や法事などで私の耳にした親類縁者のごく狭い情報によるもので、祖父のことを調べるごとにもっと学者肌で細かいところのあった人ではないかと思う)は草場の陰から私の勝手を怒らないだろうと思っている。

ごく最近までこの本の存在は知らなかった。手品の技法について本を出したことは知っていたが、とても専門的な本だと聞いていた。叔母に頼んでその本を読んでみたいと頼んだら、次々と色々な本がでてきた。その中の一冊『酔筆奇術偏狂記』は奇術に関することが多くを占めているもののいわば自伝のような体裁をとっている。面白いので奇術やら、その時代やら、祖父が暮らした和歌山という土地やら色々と調べ始めたら自分のルーツに迫るようでまたとない体験だ。

私はずっとこうして演劇の端くれのようなことをやっているのは、「祖父の血だ」と言われていた。その意味について深く考えたことはなかったが、こうしてマジシャンとしての祖父の人生に触れると「ふんふん、なるほどなぁ・・」と合点のいく部分がある。現在の奇術家でも年配の方は祖父の名前を知ってくれていて「有名な方でしたよ」と言ってくれたりした。祖父や祖父をとりまく人々の人生を通じて、自分自身の生き方を考えるようになった。

なんとまあ、ずいぶん年寄りくさいことをするようになったものだ。

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